2じくらいから派遣ばばあの仕事が何にもなくなっちゃって、すげえもてあましてるな。あくび連発しとる。だから時間で拘束してカネと交換するシステムなんか終わってるとなんども言ってるじゃねえか。しかしまあ、おれのほうこそ何をやっているのかね毎日。オカネがここにある!と信じ込む為だけに毎日会社にやってきてるわけだけど。完全にカネ信じてるからね。ただカミに印刷してあるだけだろ。そして印刷会社の月給取り。偽札刷っか。社会だろ社会。調和と秩序、変な事はしないでおとなしくその人生もてあましてろ。へい。それにしてもおばちゃん、親切丁寧に説明したことを今日で3度間違えたぞ。まったく同じ間違いなので、これはおれの説明が悪いからなのだろう。昨日言ったばっかしじゃねーかばばあこのやろうを飲み込んでまた同じ事をいちから説明するよ何度でも。仏のカオは何度でも。
3年前の今頃は波にさらわれた人の数がはんぱなさすぎて、そんな情報の前で情報ってなんなんだろうと考え込んでいた。良い人も悪い人も、お母さんも子供も、問答無用の無差別。あまりにも近い場所での出来事だったので「生き残ったほう」という自分に何が出来る?と問われて、何も出来なくなって。余震で揺れる部屋で夜な夜な甲状腺ガンの検索しててどうすりゃいいのか文献よみまくっても結局わからなくて寝不足で不安になるだけで頭痛となり熱が出て。ガソリンスタンドには行列が出来たので自転車通勤に切り替え、品薄の単一電池が買えるとレジで後ろに並んでたおじさんに「おまえラッキーじゃん!」と言われてた日々。街灯も信号もつかない真っ暗な帰りの田んぼ道、星の数が普通じゃなかった。いつからか正月が正月でなくなったように、夜が夜でなくなっていたのだなあと感じた。あの頃は春日部中央で家賃払ってた。ライちゃんも産まれてなくて。お義母さんも元気で(中身はそうじゃなかったんだけど)生きてて、みんな揃った実家でロウソクの夕食を共にした。 いや凹んだ。これおれ天才の自信作に2度目のダメだし。額縁人物画デザインは遺影みたいで縁起でもねえぞってことだそうで。いやいや間違いなく縁起でもねえよおれの描くものはよおなどと凹んだ反動で悪態ついてみたり。デザインコンセプトとしてはだれでも死んじゃうという自然の成り行きこそをユーモアで笑い飛ばす虫の世界と一緒なわけでしてへえなどなど色々言ってますが、どーでしょうか。実際明日死ぬってわかったらそんなことも言ってられないに決まってる。一休さんだって弟子が箱を開けてみたら遺書に「しにたくない」と書いてあったそうだし。しかしいちど落ち着いてから見返してみると、遺影にしかみイエーないねこりゃ。でもこっから先落ち着いて絵なんか描けねーからなあ。
by yuzzle
| 2014-03-14 06:47
| 日記
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