3月8日(土)

図書館でまたフリーダカーロの本借りてみて会社のお昼休みに読んでる。すげえカケル君に見えて仕方ないね。あいつフリーダだったんだ(みためが)な。そんな思いでページを捲っていくとカミを切ったフリーダという旦那のブカブカ背広を着て座ってハサミ持ってるページにでっくわし、まんまカケルくんじゃん!叫ぶ。そんでまたいつものようにじゃあおれもなんか描くべとなるわけだけど、中学生の模範解答みたいな絵を描きたいわけじゃないんだぜ?といつも思うわけで。ボクの夢、私の夢、じゃねえヴァカなんて吠えていた朝。だけどやっぱり手を使っていることが頭を使っていることに直結している(錯覚です)時間というか、そこに居ることを許された誰でもいい自分というのは同時に強烈に自分だなと感じられて気分が晴れる。そんな感じの鬱病じゃないけどうつあけ感。聴くことだけが音楽家であり、また描かないことは画家であるよ。だから安心して描きなさい君。だなどと機嫌が良くなり、気前もよくなり、早起きで作業部屋を訪れたハル君に、前々から彼が狙っていたトミカ(童夢零)をまた見つけて欲しそうな顔をしてトミカとおれを交互に見るので仕方ねえあげた。「跳ね上げ式のドアを開けたまま踏んずけたらぜってー折れるからね!大事にしてね!」と注意しながらもせこいおじさんだなあおれはと思ったよ。その後ネットオークションの相場調べてみたり。
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国会とか政治家とかまったく興味ないけど、このところの悪のり加減だけはあっぶねえぐらいは感じる。じゃあまあ戦争ですとなったら家族でどこか山奥か橋の下、どこにでも逃げられるようにしておくという仕事があるかなどと人ごとに考える午後。ああもう手遅れか。原発が爆発したとこでこの生活からみんなで逃げていないといけなかったんだ。逃げるってどこにだよおい。責任は大人にだけある。大人ってオレのことなんだよなあ、いやだなあもう。圧制者には声をあげて対抗すればいいとは思うけど。その前の生き物の段階として自分も暴力を振るうことで生きてる存在だということが感じられない声になんだかなあ。その反対によって自分の生活が本当にどうなっちゃうのかというメビウスの輪の反転を考えだしてしまい、反対?いやまて反対ってなんだろうになってきてしまいぐるぐる。はっきりとした意見でシャキッとした態度はかっこいいようだけど。戦争も原発も貧困も、人間という種類でいくとどれもが当事者で。そこに悪者が居る〜を叫ぶと、てめえが悪者で。うーん、その上での反対。自分達が殺されてしまったりどなたかを殺すことに興味ねーから。昔にあったことの復唱でない、続いてる丸ごとを捉えるような、そこに己を同期、更新させていく訓練が歴史の勉強かとえらそうに。
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by yuzzle | 2014-03-08 04:05 | 日記


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