3月12日

重くなったタンクを滑らせ着地させるとごくごくごく石油のむストーヴ。ここから遠くのアラブからのアブラなのかどうかの検証。大量の白いビニールの玉山。これを横目に自転車を走らせる毎朝。そういった先進国?の人間なのよおれも。ゴミを一つも出さないで暮らす人間とこの二つを並べて、どちらも同じ生き物なのかどうかの検証。子供一人育てるのにいくらいくらかかるよとだいたいの数字がアナウンスされた朝、洗脳だよマインドコントロールだよ少子化だよと、脈の無い意見を述べるが、そんなこと言うのなら100億あっても足りねーよ。逆にオカネじゃなかったらどういう生活が考えられるかとかそっちの工夫を考えてみても、ゆであがった脳みそに支配されてどこへも動きだせなくなった思考を抱えたまま飛び降りるしかない。頭の中に絶望の借金を組み込んで、それを明日への活力と見誤ったまま飛び上がるしかない。わひょ〜!

湯船に浸かりながらキヨに何度も確かめてしまう。「(保育園で)誰と一番遊んでるの?」と訪ねるのもこのところは遠慮してしまう。「誰も遊んでくれないだよ」「あそぼって言うとみんなにやだって言われる」とサラっと笑顔で答えるので...。最初はどういうことかと思って追求してしまったのだけど本人は深刻でもなさそうで。余計になんだろうと思ってしまう。アキコも心配していて今度先生に訊いてみるとは言っていたけど。まあおれが出て行っても先生にまかせた時間なのだし、余計なお世話になるに決まってる。キヨの園での普段の様子を見てみたいけど、出来ることは今頃どうしているやらと思いを巡らせることだけ。そうこう書いているとアキコからメールがきて「特に仲のいい友達がインフルエンザで長期お休みしてるからでないかな」と先生に言われたとのこと。しかも相手は女の子だそうで。要らぬ心配かい。しかし人間の集りを一固まりと捉えてしまうとどんどん怖くなってくるな。個人個人が網の目に繋がる状況を思い浮かべてみる。人間に限定しなければ完全な孤立ってあり得ないとも思うし。カマキリやムカデもみな友達。
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こないだタクちゃんともちょっと話をしたけど、覚えているとはどういう状態のことか。死んだ人間の声をたった今聴こえたように覚えているだろうかとか。録音を聴くのとはまた違う意味での覚えているのことだけど。実は記憶とは忘れているだけのことでそいつが生きた全ての記録が保存されている岩壁がどこか秩父の山奥の鍾乳洞入ったすぐあたりにあって(コウモリと骸骨が書いてあるだけだぞ)ある生暖かい夕暮れ時に走馬灯体験が「こんちや〜」と、どっと押し寄せるかもしれないという期待というか、予感というか、ああ恐ろしや。未来を先取りしたことが死ぬことの確定で。死神が殺さなくても誰でも勝手に死ぬ。予測できると思い込んだ、こういった確信というか予言が強くなってくると最大で自殺なのかな。おれは産まれた事も死んだこともないよ!と信じて疑っている間を生きている?けどカレンダーには誕生日が毎年やってくるね。机の引き出しから自分の母子手帳を出してマチさんが書いた文字を追う。
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by yuzzle | 2014-03-12 16:19 | 日記


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