建て並ぶこれらを少しスケールダウンするとまんまお寺のお墓じゃないですかというギッチギッチに並んだまま入り手を待つまだ新しい建て売り区間を進みながらの自転車通勤。お情けで植わってるようなおしゃれ糸杉は卒塔婆なの。会社のパソコンの壁紙をルソーの荒波を行く客船の絵からクレーに替えて2ヶ月くらいたってたけど、よどんだ眼球に馴染みすぎてしまい、見えてたはずなのに意識の表面にのぼらなくなってた。まあ、忘れちゃうってことは良くも悪くもすげえことだ。もうすぐクリスマスということで各地でサンタクロースが大変なおもいしてるのかな。おれん家の子供は今や4人だから、そらさぞかし大変なおもいしてるだろうか。…とかさ、他人や自分のことを推測するくせはやめなきゃだめだ。ぐにゃぐにゃしているだけの人間を型にはめてから見ていこうという行為の暴力が見えねえか。
『死してのちも、心に強く訴えかける存在。その人は死人だと言えるのだろうか。 「この思い出は、兄が死んだ後も、生きていたときとまったく同じことを私に要求する。そればかりではない。彼の死後は、生きていたとき以上に強く私を縛りつけるようになった。兄の中にあった生命の力は、消えも減りもしなかったばかりか、そのまま残ったのでさえなく、かえって力を増して、以前よりもいっそう強力に私に働きかけてくるのだ。」』トルストイ 自分は確かに生きてるよと堅く信じて、まあ思い込んでいるわけだけど。毎朝よく目覚めるもんだ。ほんとに目覚めてるか?「生きている」と言ったり、感じたりしている主体とは一体だれだろう。名前があることによって、または役所で戸籍を取り寄せることが出来るからって、それが何の存在の証明になりますかってんだばかやろう。 高校3年の文化祭準備で残ってた時のこと。この人が好きなんだなあと気が付いたときにはなんとなく気まずい雰囲気になってた女の子と二人きりになる時間が奇跡的に訪れ、何かの拍子にその子から「おまえはこれでも読んでろ!」と手荒く渡された本がイワンのばかだったなあと思い出す。もう暗くなってきた石の校舎で二人して笑ってた。最近、岩波の赤ラベル集めが静かに流行ってる。それの「イワンのばか」を買って枕元に置いといたら、このところ文字の本に興味が出まくってるハルが「バカってなんだよ!これ読んでくれよ〜笑」とせがんできたので、今週末から少しずつ読んであげようかな。このところのお話の本はアーノルドローベルの「がまくんかえるくん」シリーズに始まり「フクロウくん」のなみだのお茶の話でいちいち大爆笑が起って、こちらとしても読んでてとてもたのしい。そして明くる日になってからも話のディテールを「あれはこうだったようね〜」「あそこは面白いなあ」とキヨと二人で談義している。記憶力というよりも吸収力がすごいのね、子供。昨日は寝るのが10時近くなってしまったにも関わらず、キヨが「どんぐりと山猫〜」と分厚いのを持って来たので、遅いから字の本はなしだと言っただろと伝えるといじけてしまい、しまいにおいおい泣きだした。面倒なのでほったらかしにしてハルとライに読み聴かせていると、布団からはい出したキヨがツカツカツカと枕元に歩いて来て、おれの頭頂部をコツンと蹴った。なにするだ〜!と反射で怒ると、さらに泣いてしばらく大変だった。怒ってはいけない。 3日前くらいから掛け布団の上に毛布が追加されて、布団の中に入ると冬眠クマ状態になってしまい、早朝仕事さぼりまくってる。寒さに勝てない。そのかわりユメを見ているようだけど断片しか覚えていないことが多い。昨日のユメの断片→新しく出来た市民会館のホールの階段を下りた薄暗い半地下に設置されている巨大な水槽(水底に芝生の公園が見える。天気良い)に浮かぶ全体がレゴブロックのプチプチ付きプラ版床の大広間で全然知らない男の子二人と一緒にブロックで遊んで「ほらすげえの出来ただろう」などと見せて自慢してた。ビルの入り口から入って突き当たりを左に折れて15mくらいのところにある潰れたそば屋さん跡地、をどう復活させて商売にするかを、薄暗いけどガランとしてるから入り口だけは午後の時間帯、瞬間だけ異様に明るくなる店内で考えている。地面に直接に置かれた水槽には寿司屋でもないのに活魚がゆらゆらと泳いでる。通路に置いてある出前用のカブが埃をかむっている....そんなユメの断片。今日からはもう最初から寝ない作戦でいくことにするよ。明日会社休みだし。睡眠なんかなんだってんだばかやろう。
by yuzzle
| 2014-12-20 00:45
| 日記
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